東日本大震災。埼玉にいた私の記録
東北地方太平洋沖を震源地とする大きな地震が発生しました。
亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申しあげます。
3月11日(金) 14時46分
埼玉在住の私は家にいてパソコン机に座っていました。
地震が起きてすぐは、いつも通り仕事を続けていましたが、揺れが大きくなっていくのを感じて部屋の隅に移動。
「すぐに納まるだろう」―いままでの経験からそう思っても、揺れはどんどん強くなる。いつも過ごしている部屋が形相を変えて大きく揺れる。
壁のディスプレイが画鋲をはじいて落ち、並べてあった化粧瓶が落ち、机の上の食玩を飾っていたアクリルケースが落下する。
台所で何かが倒れた音がして、食器がガチャガチャとぶつかる音が響く。
いままでに体験した中で、一番大きな地震でした。
ようやく揺れが収まり、台所からなにかの音。スタンド型の掃除機が倒れた拍子にスイッチが入ったようで、ごうごう鳴っていました。
とっさに思ったのが「これは前震で、もっと大きな地震が来るかもしれない」ということ。
がたがた震えながら、フリースを着てiPhoneと財布をつかみ、足をもつれさせないように気をつけて階段を下りる。近所の人たちも外に出ていました。
近くに住む恋人はどこにいるんだろう。怪我をしていないだろうか。
実家の方はどれくらい揺れただろう。定年退職している父は、家で危険な家具のそばにいないだろうか。母は会社だから、机の下にもぐったかな。
外でTwitterを見て、震源地に近い宮城が大きな被害を受けていることを知り、驚きました。
埼玉がこれだけ揺れたのだから、震源地が近いと思ったのです。
ぞっとして、仙台に住んでいる友人の顔が浮かびました。
公園に避難
しばらくは家の横にいましたが、当分は怖くて家にいられそうにないと思い、避難することに。
急いで部屋に入り、必要そうなものをかき集めてリュックに入れ、避難所の公園に向かいました。
公園にはすでに人が集まっていましたが、思ったより少ない。
横に建っているマンションのベランダから、こちらを見ている人も。
公園にいるのは、赤ちゃんを抱いたお母さん、お年寄りを連れた方、女子高生、配送中の宅配便屋さんなどなど。
幼稚園バスが公園横について、お母さんが帰ってきた子供を抱きしめる。
何分かごとに大きく揺れ、公園の大木が揺れる。
15分くらいすると家に帰る人も出てきました。
私は家に入りたくなかったので、そのままスーパーの方へ。
しかし、スーパーはお客さんを店外へ非難させており、営業していませんでした。
駅前にはお店から出てきた大勢の人がいて、古いビルの外壁タイルが落ちていたり、お店のガラスが割れていたり、水道管から水が漏れたりしていました。
ふたたび公園に戻り、帰宅したのは16時半くらいでしょうか。
すぐにお風呂に水を溜め、もう一度、持ち出す物を考えてリュックに詰める。
姿見、液晶ディスプレイ、電子レンジなど、危なそうなものはすべて低いところに移動。
安否確認と余震の夜
家族や恋人の安否を確認したかったけれど、被災地の方を優先しなければいけない。それに、どうせ繋がらない。
パソコンメールを送信して、災害ダイヤルをチェックし、伝言がないのでこちらから残す。
無事だと信じていても、この時間は不安でした。
夜に電話がかかってきて、無事が確認できてほっとしました。
20時ごろ、携帯にはじめて緊急地震速報が鳴り響いたので、思いっきりびびって再び外に。
そんなに揺れなかったので、こんどこそスーパーへ。
私は備蓄どころか買い置きが嫌いで、日々その日に食べるものだけを買うような生活でした。
その点は深く反省しています・・。
この時点では、スーパーにいる人もそんなに買い込んでいませんでしたね。
カップラーメンは買うつもりがないので見ませんでしたが、水は安売りのが十分にあったし、パンも普通にありました。
停電している地域もあると聞いたので、水とクッキー、食パン(3枚入り)、ツナ缶を買いました。
帰りに私設保育園のそばを通ったら、まだ子供が残ってる。
親御さんが帰宅難民になって迎えに来られないのかな?だったら布団とかが要るかもと思い声を掛けました。
遅くなるけれど、みなさん歩いて帰宅し、お迎えに来てくれるそう。
よかった。
帰宅してテレビをつけたら、津波や火事の映像が流れていてショックを受けました。
縮尺が違うとしか思えないような津波、真っ赤な町。
とにかく気持ちを落ち着けようと、昼間できなかった作業をしました。
寝る時は外に出られる服のまま、近くにリュックと靴を置いてお布団へ。
うとうとと眠りにつくたびに余震や緊急地震速報で起こされ、震源地が次々と変わるのを知り怖かった。
明け方にやっと眠りました。
【2011/4/15追記】
埼玉での震度を求めてこの記事に辿りつく方がいるようなので、調べました。
気象庁 > 2011年3月11日14:46
↑このページは気象庁のサイトです。
気象庁 > 気象統計情報 > 地震・津波 > 3月11日~4月11日に地震情報を発表した地震の震源及び震度のページからリンクされています。
あまりに規模が大きくて、各地の震度などの情報は入りづらかったですね・・。
続く余震・停電開始
12日(土)
週末なので恋人の家に移動。
相変わらず余震が続いていましたが、うちに比べて大きいマンションだからか、ぜんぜん揺れが小さい。
昨夜から移動していればよかったと思いました。
でも、地震当日は茫然としてて、疲れてて、一人でめそめそしていたかったんですよね。
この辺、私はほんとに一人向きなんだなーと再認識しました(笑)
夕方停電になるかもということだったので、買物だけして家にいました。
早めに夕食を作り、無料で入っていた朝日新聞を通読。
新聞についてた数独とクロスワードまでやりました。
13日(日)
彼だけ仕事で、お昼が買えないかもしれないのでおにぎりを持たせました。
私は、ちょろっとスーパーに行ったのですが、すでにお水は無く・トイレットペーパーが減っていて、いつもより少し混んでいました。
14日(月)
彼に小さな懐中電灯を借りて帰宅。
スーパーに行くと、見たこともないような混雑ぶり。
そんな中でもキャベツ1玉58円、シーチキン水煮3缶198円で安売りしているスーパーに「付いていきます!」と思う。
帰宅後は、余震に備えて部屋を整えました。
地震を警戒する日々は、どのくらい続くかわからない。
普段からずっと安全にしておこう。
この記事を書いている15日現在、余震が続いています。
原子力発電所も爆発し、放射性物質の危険性も出てきました。
以前と変わらない日々が戻っても、前と同じような安心感は戻らない。信じていた安全が崩れてしまった。それを思うと悲しい。
うちは輪番停電の区域となりました。
なるべく停電しなくて済むよう、しっかり節電します。
いつもと違う生活は長丁場になる。
停電に生活を合わせ、備えつつも日常を取り戻す。
縮こまらないように、疲れないように、上手に力を抜いてがんばる。
最後に、無事でいてくれた家族・友人に。
生きていてくれてありがとう!すごく嬉しいです。
ひこちゃんも恋人さんも無事で本当に良かった!
本当今までに体験したことのない揺れだった。甘く見てたよ。関東は被害が少なかったとはいえ何をしてよいやら。茫然自失って感じでした。
昨日八百屋さんでキャベツが半分398円で売ってて「地震で品不足だからしょうがないのかぁ」と思い、別のスーパーに行くと半分で98円でした。300円差って何???
情報が交錯して慌てがちだけど、しっかり正しい情報を得て今の自分にできることを精一杯やりたいよね。
まだ油断ならないけど気をつけて過ごしてね。