誕生日を祝う習慣
先週、誕生日だったのでケーキを食べました。
誕生日の前日に恋人と会う約束をしていて、前もってその日は寿司を食べに行こうとか言うので、今年は誕生日を覚えているんだなー感心感心とか思っていたら、またもや忘れられておりました。
単に寿司が食べたかったそうな。まぎらわしいんじゃ!
誕生日にはケーキを食べなくちゃねということで、お気に入りのケーキ屋さんに買いに行きました。
ここのケーキはどれもとてもおいしくて、私のお気に入り。中でも季節の果物タルトを選ぶことが多いです。
今回のタルトはいちぢく。そういえばいちぢくのことが多いと思ったら、誕生日に行くことが多い=夏なのだった。
私はタルト、彼はミルクレープで、モンブランの豪華版みたいなケーキ(名前忘れたら)を半分こしました。
で、そういえば誕生日おめでとうと言われてないぞと思って催促しましたら、言われたい?と訊かれまして。
彼の家では誕生日を祝う習慣がなかったそうで。ケーキはおろか、おめでとうとも言われなかったそうなんです。いまでも自分の誕生日には、特に何もしなくてもいいと言う(やりますが)
いやでも、いままでは言ってくれてたのになんで?と訊きましたら、まだ祝いたいのかなと思って、と。あれですか、もういい年だからということですか。
うーん・・・。
私は子どものころから、誕生日が嬉しいという気持ちはあまりない。物欲が薄いからプレゼントもそんなに欲しくなかったし(買ってもらうものを無理やり選ぶことさえあった)、自分が中心になることが苦手なので、どこかこそばゆいような気持ちだった。それは今でも変わらない。
でも、ずーっと家族に「おめでとう」を言ってもらって、ご馳走とケーキを食べるのが習慣だったので、祝うのはすごく当たり前のことだという意識があるんだよね。
もう祝ってもらわなくてもいいかな。いやでも、何もないのは淋しいだろう。というか、他の誰が言ってくれなくても、一番近い存在である彼に言われないのは悲しい。
ということで、キッパリ言いました。
「私は誕生日は祝われたいです!いくつになってもいつまでも祝われたいから、誕生日にはおめでとうと言ってください!!ケーキは食べさせてください!!!」と(笑)
彼は「わかった。じゃあ忘れないようにするよ」と言ってくれました。うん、忘れないのはいいよ、無理だろうから。
正直、こんなふうに話しあって祝ってもらうのではなく、私が生まれた日を自然な気持ちで祝って欲しい。だけど、それは無いものねだりというもので。
価値観が違ったら、それが本当に許せないものじゃない限り、話しあって折りあっていけばいいんだよね。
まあでも、また何年か後に「まだ言われたい?」と訊かれそうな気がしますが。
遅ればせお誕生日おめでとう!
まぁ彼氏でも夫でも、他人だから価値観の違いはあるものだよね。でもなんだか微笑ましく読ませていただきました。
私も誕生日にサプライズというやつをやってもらいたいんだけど、まーちゃんはそんな小細工のできる人じゃないのでもう諦めてます。ま、サプライズ自体が贅沢と言えば贅沢なんですが・・(笑)
これからもひこちゃん達らしいお誕生日のお祝いができるといいね。